2010年8月29日日曜日

 例えば僕がいる。MAYAちゃんからみた僕もいるし、ツトムくんからみた僕もいる。その当事者からすれば僕は紛れも無く僕である。だが僕では無い部分がある。その解離性の原因は僕でありコックピットの操縦士が僕であるが故に導き出した僕はあくまで天候、天災、人災・・・・等を考慮したうえで導き出した最善の運航であると判断した上での僕である。
両者が言う。「who are you?」 もっともな質問です。恐らく現在であれ死ぬ間際であれ答えることは変わらないだろう。「i don't know」 僕がむしろ僕に聞きたいことなのです。僕を知る手段はあるのでしょうか?大概の人には興味の無いことかもしれないが夏帆の陰部の形状よりも 究極的に興味のあることが僕なのである。
僕は幸か不幸かそんな僕のコックピットの操縦士を自任してくれる人がいる。 その運航経路はあくまでstairway to hellよりのstairway to heavenなのである。(イントロはねどっちともとれるんですよね) 
君らの見える視界は僕の最善の運航を考慮したうえでの設計図なのだとおもう。
だが僕はそこを離れたい僕がいる。それにより君らの僕が無くなってしまっても、僕は有り続けなければならない。
  君らの僕以上に僕自身が僕の僕であるが故に。
難儀で険しい道程なのはさすがの僕にでも理解できる。ただし、そこを歩み続けない限り僕に出会うことは不可能だとおもうのです。

良い方向に転んでも悪い方向に転んでも、二者の僕がいる。そのどちらになろうとも進んだ先に僕がいるのであれば、僕は納得をする。

正直に言えばしんどい。だがそこにしか快楽を得られない僕であるが故に、 僕は僕という性的対象の魅惑の曲線の中を廻りつづけることしか出来ないだろうから。

2010年8月26日木曜日

zozoでの疎外感に耐え切れずに引越しした次第です。

 今週の月曜日は撮影でした。「first time love」という題名の僕に似つかわしくないものを撮るはずでした。が、出てくれる可愛い子ちゃんが足に靴擦れが数箇所あったので断念しました。(何回も足に怪我は無いかと確認したのに) 理由としてはここに脚を入れなければならないからです。

全ての人がそうだとは分からないが、初恋のときってのはダルマなのです。身体や声を使って愛を伝えることは出来ないものです。意中の人に愛を伝える手段は「視線」しかないのです。視線に思いの全てを託すのだが、視線の先は彼女の後頭部やお喋りしている横顔。不甲斐なさからくる自己卑下。一念発起で視線を合わせてみるが、見つめる先は45度。*ノールックパス上手い人のrootsって意外とこういうとこから? 
彼女をものにする企てを思いつき掛け布団を剥がし天井に飛来した彼女でシュミレーション。翌日に試みるが、彼女の前に立つと不意に聞こえてくる「But Im a creep.........」

その辺を可愛い子ちゃんとドブ川のキャストで撮る筈だったのですが・・・

実際に現場に行ってリハーサルとかやると、いかに机上の空論だったことが浮き彫りになり、訂正をしなくちゃいけない部分が多々あったので、それはそれで収穫はありだったのでしょう。

今後は週1位のペースで書いていこうと思ってます。そろそろスーパーについて書かんといけんね。

追記。どう書くか分からんけど「あかね堂」の発想は無かったは。実現すりゃ面白そうやね。ここ最近はカイロプラティックか整体を身につけようかなぁと思っていたとこに「あかね堂」 あの細身の変態がお灸を身につけりゃいいっちゃけどね。

http://www.youtube.com/watch?v=fbxzFujrtOs 一説によると10代の時にこの曲を作ったらしい。99年に20年振りに発売されたhttp://www.youtube.com/watch?v=M567B7N2Qm8こいつもいいんです。

まだしてなかったけん一応書いておこう。
「creepだのloserなどと、自らをpublic enemyと認識した先の境地がnirvana(涅槃)である時代は90年までだよ」 だが解釈次第では2010以降も活用できる要素はある。